第122代明治天皇は、先帝である孝明天皇の第二皇子です。
ここでは大きな時代の変わり目に即位した明治天皇と、その兄弟や逸話をご紹介します。
幕末の動乱期に即位した明治天皇
1867年、父であり先帝の孝明天皇が天然痘で亡くなったことを受けて、明治天皇は14歳の若さで即位しました。
まさに幕末の動乱の時代、大政奉還によって15代将軍徳川慶喜から朝廷に政権が帰ってきた時代です。
しかしまだ実際には幕府が政治に深く関わっており、岩倉具視や大久保利通らによって「王政復古の大号令」が発せられて、天皇中心の新政府ができました。
そして「五か条の御誓文」が発布され元号を明治と改め、都を東京に遷しました。
「版籍奉還」「廃藩置県」が行われ、国民は平等に苗字を名乗るようになったのもこの時代です。
いわゆる文明開化の明治初期、「大日本国憲法」も発布され、天皇主権の立憲君主制の基礎となりました。
1894年の日清戦争、1904年の日露戦争は、明治天皇自ら指揮をとったと伝えられています。
明治天皇の兄弟や子供について
明治天皇には15人もの子女がいました。
皇后は一条美子(昭憲皇太后)でしたが、皇后は病弱だったこともあり子供ができませんでした。
この時代にはまだ、天皇家の血筋が絶えないための対策として、側室の存在がありました。
明治天皇の後を継ぐことになる大正天皇は明宮嘉仁親王といい、側室の柳原愛子の産んだ子です。
明治天皇ご自身は6人兄弟とされていますが、他の5人に関しての記述は残念ながらほとんど残っていません。
明治天皇のお人柄と逸話
明治天皇は日清・日露戦争後、イギリスやフランスなどの大国の仲間入りができるように、軍事力や経済力を強化することに力を注ぎました。
明治天皇は質素を旨として、自己を律することで天皇としての威厳の保持に努めたと伝えられています。
また記憶力が抜群で、提出された書類は暗記して厳重にチェックされたことから、伊藤博文がごまかしがきかないと困っていたという逸話が残っています。
文化に対しても、日本文化の残すべきものは残し、外国の取り入れるべき文化は積極的に取り入れるという態度を示しました。
私生活では日本酒を好み、奈良時代に聖武天皇が肉食の禁を出してから皇室ではタブーとされていた牛肉と牛乳を飲食し、新時代の食事のあり方を国民に示しました。
また散髪脱刀令が出された後、まず明治天皇が自ら断髪したことで徐々に国民の間に広がっていったといわれています。
明治天皇は糖尿病の持病があり、晩年は糖尿病から尿毒症を併発、そのせいで一日中睡魔に襲われていたと伝えられており、最期には心臓麻痺で崩御されました、満59歳でした。
