中御門天皇と象との興味深い逸話とは?

第114代中御門天皇は、江戸幕府6代将軍家宣から8代吉宗の時代にかけて在位した天皇です。

ここではその中御門天皇の時代と、初めて象の「拝謁」を受けた経緯についてご紹介します。

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中御門天皇の人物像と時代背景

中御門天皇は、先帝である東山天皇から譲位されて9歳で即位しました。

そのため、初めは父である東山上皇が、ついで祖父である霊元上皇が院政を敷きました。

この時代は、朝廷と江戸幕府とは良好な関係を保っており、霊元院の皇女を7代将軍家継へ降嫁させる計画もありましたが、家継が急死したために中止となったと伝えられています。

中御門天皇の側近である広橋兼胤の日記に、中御門天皇は十二支の巳に縁が深く、生年が巳年そして崩御したのが巳年巳月巳日そして巳の刻であったという記述があります。

中御門天皇は芸術の才能にあふれ、和歌・書道・弦楽に秀でていたと伝えられています。

また、中御門天皇は笛を得意としており、キツネが聴きに来たという逸話が残っています。

象に出会った初めての天皇

毎年4月28日は「象の日」とされています。

記録では、中国人貿易商の手配で日本に初めて象がやってきたのが応永15年(1408年)なのですが、京で中御門天皇が、そして江戸で将軍吉宗が象を見物したのが、6回目の渡来となる京保14年でした。

4月28日に御所の清涼殿に舞台を作り、京都に入った象一行を迎えました。

そして天覧、中御門天皇、霊元上皇をはじめとして右大臣・左大臣などが見物しました。

いくら6度目の渡来とはいえ、日本人のほとんどは象など見たことがありませんでしたので、長崎から江戸へ向かう道中は、どこも大騒ぎだったと伝えられています。

そういう噂を聞いた中御門天皇は、象をぜひ見てみたいと所望され、御所での天覧となりました。

中御門天皇が象を天覧した4月28日を記念して、その日が「象の日」と定められました。

象に与えられた称号とは

この天覧は、「天皇が象を見物した」のではなく「像が天皇に拝謁した」とみなされるために、ある問題が起きました。

それは、象が無位無官であるために参内の資格がないとされたのです。

そこで土御門天皇は急遽、象に「広南従四位白象」という称号を与えて拝謁可能になったとされています。

拝謁した象は、前足を折って頭を下げる仕草をしたとされ、その時の象を見た天皇は感銘を受け、次の歌を詠みました。

「時しあれは 人の国なるけたものも けふ九重に みるがうれしさ」

広南従四位白象が江戸城へ登城した際に、絵師であった四代狩野栄川古信が、この象を描きました。

実際の象を見ながら描いたこの作品は、現在も東京国立博物館に収納されています。

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