第63代天皇である冷泉天皇は、先帝の村上天皇の崩御を受けて18歳で即位しました。
冷泉天皇は気の病を持っていて、奇行が目立ったといわれています。
その冷泉天皇と、その時代に起こった安和の変異ついてご紹介します。
冷泉天皇の奇行
最近では冷泉天皇の奇行は、出産時の脳圧迫による障害だといわれています。
また、異母弟に障がい児がいたことを示唆する記述も存在するので、近親婚による弊害だともされています。
冷泉天皇は美しい容姿に反して、様々な奇行があったとされています。
・足が傷ついているのに一日中蹴鞠をしていた
・病気で伏している時、大声で歌を歌った。
・火事で避難する時、牛車の上で大声で歌を歌った
・儀式の最中に「重いから被っていられない」と冠を投げ、女性を引きずり込んだ
その他さまざまなエピソードが残っていますが、何でもない時は普通で優しい人物だったとも伝えられています。
暴力事件を起こしたりなどの話は残っていないところを見ると、精神障害というよりも、普通よりもエキセントリックな人物だったという解釈もできます。
他にも天皇候補は何人もいたはずなのに、なぜ冷泉天皇が即位したのか、そこには藤原家の陰謀が隠れていたとされます。
冷泉天皇の後継者問題
こういった奇行と病気がちだったことで、冷泉天皇の即位直後から次期皇太子問題が持ち上がります。
有力視されたのは、いずれも冷泉天皇の同母弟の為平親王と、守平親王(後の円融天皇)でした。
為平親王が皇太子になるのが順当でしたが、為平親王の舅の源高明の台頭を快く思わない藤原氏が、為平親王の失脚を狙います。
源高明は醍醐天皇の第十皇子で、臣籍降下したとはいえ皇族の血が流れているのです。
そして為平親王が天皇になると、源高明には大きな権力が手に入ってしまうので、藤原氏としてはそれは避けたいのです。
そして藤原氏は冤罪で源高明をさせようと企てます。
どういう方法で嵌めたのかの記述はありませんが、源高明は突如天皇へ謀反を企てたという罪で大宰府に左遷されたのです。
安和の変の意義
これが安和の変と呼ばれる事件で、事件自体は派手なものではありませんでしたが、このことによって藤原氏の出世を邪魔する勢力がいなくなりました。
つまり安和の変は、藤原道長を頂点とした摂関藤原氏の隆盛の土台を作ったという意味で大きな事件だったのです。
飛鳥時代より数百年続いた政界での、藤原家と他の氏族との争いは、ここより藤原氏内部の権力争いに変わっていくのです。
この安和の変後冷泉天皇は円融天皇に譲位して「冷泉院」と呼ばれるようになり、61歳まで長生きしたといわれています。