二度目の即位となった称徳天皇、僧である道鏡との関係は?

第48代称徳天皇は第46代天皇である孝謙天皇と同一人物です。

ここでは重祚した称徳天皇と、関わりの深い道鏡という僧との関係についてご紹介します。

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医僧である道鏡との出会い

病に伏せた称徳天皇に医者(当時は僧がその役を担っていました)を探していたところ、道鏡という医僧に出会いました。

道鏡は加持祈祷を行い、また薬の知識も豊富で、宮中で勢力を伸ばしていきます。

当時の僧は、医者と祈祷師、そして薬剤師と僧を兼ねた存在で、ここでいう薬とは主に薬草を指します。

弓削道鏡(ゆげのどうきょう)は後に怪僧・黒僧ともいわれ、称徳天皇をはじめ宮中の女性たちを虜にしたといわれています。

しかしどんな黒い噂があっても、道鏡は若いころから高僧の元で修行して禅や梵語、その他の知識を身につけていた優秀な僧だと伝えられています。

なので、宮中に出入りできるようになり、ここまで重用されたのではないかと考えられます。

道鏡は称徳天皇の病を治して後、道鏡の弟や一族までもが朝廷において大きな影響力をもつようになるのです。

この時の称徳天皇の病は精神的なものだったので、道鏡の祈祷や介護で完治したという説も、あり得ない話ではないと思われます。

道鏡の政界進出

道鏡は、称徳天皇によって大臣禅師という前代未聞の官職につきます、そして次の年には太政大臣禅師となり、さらに二年後には道鏡のためだけにある「法王」の地位まで上りつめました。

法王とは、天皇に次ぐ地位であり、このような権力は後にも先にも道鏡ただ一人でした。

称徳天皇の寵愛を受け、便宜を図ってもらい出世した道鏡は、政治にも口を出すようになりました。

とはいえ、元はといえば道鏡も僧、仏教中心の思想を元にしたものでした。

当時流行していた鷹狩りは殺生だから禁止に、寺にはたくさん寄付をする、貴族は開墾することを禁ずるなどです。

そして道鏡の一族や弟子たちまで大出世しました。

しかしここで道鏡の一番の悪行と伝えられる「宇佐八幡宮神託事件」が起こります。

宇佐八幡宮神託事件とは

道鏡の弟二人が、宇佐八幡宮に「道鏡を天皇にすれば天下泰平になる」と神託が下りたと称徳天皇に奏上しました。

称徳天皇は喜びましたが、和気清麻呂が神託の真否を確かめたところ虚偽であることが判明しました。

そして「天皇家でない者は天皇になってはならない」という当然の結論になり、道鏡の天皇への野望は潰えました。

この神託が道鏡の陰謀であるとする説と、道鏡の周りの人間が道鏡と称徳天皇に忖度したのではないかという説があり、真偽はいまだに不明です。

そして称徳天皇が崩御すると、道鏡の栄華も終わり権力の座も失いました。

下野の国に流罪になった道鏡は、一般庶民として亡くなりましたが、流された先では評判は悪くなかったという話が残っているところを見ると、道鏡は本当の悪人ではなかったとも考えられます。

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