第44代元正天皇とは、歴代天皇の中で唯一、母から皇位を譲られた女性天皇で、美しく慈悲深い性質だと伝えられています。
ここではその元正天皇と、養老の滝の伝説についてご紹介します。
元正天皇の実績について
元正天皇は、母親である元明天皇から皇位を譲られて即位しましたが、それまでの女性天皇が皇后や皇太子妃だったのに対して、結婚経験がなく初めて独身で即位した女性天皇です。
あくまで中継ぎの女帝ではありましたが、元正天皇は美しく聡明で慈悲深い女性だったと伝えられています。
「民衆が富まなければ国も富まない」と、それまでの水田の稲作だけではなく、畑の開墾も推奨しました。
元正天皇は藤原不比等らの手によって編纂された大宝律令に改編の余地があると考え、養老律令の編纂を命じました。
日本書紀が完成したのも、元明天皇の時代です。
聖武天皇に譲位した後も上皇として、病気がちで仏教の信仰に傾倒していた聖武天皇に代わって、藤原仲麻呂らと政務を行っていたと伝えられています。
養老の滝伝説とは
元正天皇が美濃国に行幸した時に、多度山でとても美しい泉を見つけ、その水で痛いところを洗ったら、瞬く間に痛みが取れたとされています。
またその泉の水で手や顔を洗ったところ肌がすべすべになり、目の病気や持病が回復したという効果まであったといわれています。
この行幸は霊亀3年(717年)に行われたとされており、その年を「養老元年」と元号を改めました。
「老いを養う若がえりの水」ということから元号にまで制定された養老の滝は、現在の岐阜県養老郡にあり、他にも伝説が残っています。
親孝行な息子が年老いた父親のために、木こりをして生活していました。
父親に心ゆくまでお酒を飲ませてあげたいと願いながら木こりを続けていたところ、どこからか甘い匂いが漂ってきました。
見渡すと岩の間から小さな滝が流れていて、その水を口にしてみるととても美味しいお酒で、父親にたっぷりお酒を飲ませてあげました。
そしてその話が元正天皇の耳に入り、その話に感じ入った天皇が元号を「養老」に制定し、さらにその息子を美濃守に任命した、とされています。
また元正天皇が沐浴されたのは、養老の滝ではなく近くにある菊水泉という泉であったとも伝えられています。
「続日本記」に、この頃すでにこの水でお酒を醸造したという記録が残っており、美味しい名水であったのではないかと考えられます。