竹田恒泰氏は崇光天皇の子孫だということで、一時マスコミで話題になりました。
ここではこの竹田恒泰氏と崇光天皇との繋がりについてご紹介します。
正式な天皇系図に載っていない崇光天皇とは
崇光天皇は北朝第3代天皇で、北朝初代光厳天皇の子そして第2代光明天皇の甥にあたります。
この時代は朝廷が南と北に分裂し、室町幕府を開いた足利家の中にも内紛が起こっていました。
そして足利家の中で抗争がおき、1352年には足利尊氏が南朝に帰順することになり、ここで北朝が消滅することになったのです。
この際、光厳・光明・崇光の3上皇ら北朝の皇族は南朝に拉致されてしまいました。
南北朝の統一により天皇継承がますます混迷の度合いを深めていくことになりましたが、この後の様々な事情の結果、崇光天皇の子孫もまた正式な天皇の系図に載ることになるのです。
竹田恒泰氏の血筋について
竹田恒泰氏は法学者であり、政治評論家その他たくさんの肩書を持ち、崇光天皇に繋がる血筋だということで話題になった人物です。
旧皇族(第二次大戦後の昭和22年に皇籍離脱した11宮家51名の元皇族)の竹田家に生まれ、北朝第3代崇光天皇の父系の19世子孫だといわれています。
また、竹田恒泰氏の曾祖母が明治天皇の第六皇女であり、母系だと明治天皇の玄孫(孫の孫)にあたります。
第125代今上天皇の「はとこの子」になりますが、もちろん現状では竹田恒泰氏に皇位継承権はありません。
そして、著作などで旧皇族と自称していますが、祖父が皇籍離脱した後に誕生していることから正確に言うと旧皇族ではありません。
「旧皇族」というのは皇族だった人のことを指し、「皇族の子孫」とは別物になります。
竹田恒泰氏は、夫婦別姓制度や嫡出子相続差別への反対や、憲法改正などの独自の主張を発表されていますが、マルチ商法への関与なども取りざたされました。
2018年5月にYouTubeの公式チャンネルもアカウント停止になり、現在ではほとんど情報を発信されていません。
竹田恒泰氏の天皇になる可能性
旧皇族ではなく皇族の子孫である竹田恒泰氏ですし、現在では明治天皇の直系である今上天皇が継承しているので可能性はなくなりましたが、遡ると明治時代には竹田恒泰氏の家系が天皇になる可能性はゼロではなかったのです。
明治維新後続々と立てられた「新宮家」に対して、皇族をむやみに増やしたくない政府でしたが、明治天皇は皇族の衰退を憂いたといわれています。
そして明治天皇の男子のうち成人したのが大正天皇だけ、しかも幼いころからご病弱だったことで皇統が断絶する可能性もありました。
もしその血統が絶えてしまったのなら、男系を継承した旧宮家を復活させるという方法もある、と竹田恒泰氏はおっしゃっているとされています。
限りなく低い可能性ではありましたが、明治天皇で直系が途絶えたのならその可能性もゼロではなかったのかもしれないという理論もあながち作り話ではないと思われます。