平家物語に見る高倉天皇の悲恋話と、平清盛の関係とは?

栄華を極めた平清盛が活躍している時期に、第80代高倉天皇は即位しました。

ここでは平家物語の中で書かれた高倉天皇の恋についてご紹介します。

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高倉天皇即位の経緯

高倉天皇の両親は後白河上皇と平滋子で、平家の血が入った初めての天皇です。

1168年に平清盛が突然の病に倒れた時、先帝の第79代六条天皇はまだ幼児だったので、平清盛が亡くなったら皇位継承争いが起きるのが必然です。

そこで後白河上皇は先手を打って圧力をかけ、平清盛が存命中に高倉天皇の7歳での即位が実現しました。

このころの朝廷は、後白河上皇と平清盛の間で、要職に関する人事で対立するようになっていました。

若い高倉天皇と後白河上皇、そして平清盛の間に流れる微妙な空気は、高倉天皇の母の滋子によって何とか緩和されて、均衡を保っていたと伝えられています。

しかし滋子が亡くなると、とうとう後白河上皇と平清盛の間に争いが起きてしまいます。

鹿ケ谷の陰謀、そして治承三年の政変が起こり、結果的には平清盛側が勝利し、後白河上皇は幽閉されてしまうのです。

後白河上皇の幽閉によって、20歳近くになった高倉天皇がやっと政治に関わることができるのですが、それも一年ほどで平清盛によって、安徳天皇に譲位することになってしまいました。

高倉天皇は上皇となり院政を行いますが、依然として政治の実権は平清盛が握っており、高倉上皇は傀儡でしかありませんでした。

高倉上皇は19歳の若さで病で斃れ、そして数年後平氏が滅んだ壇ノ浦の戦いで安徳天皇も幼くして命を落とすのです。

平家物語の中の高倉天皇の悲恋物語

高倉天皇が、葵の前という女性を愛し、葵の前が亡くなった後も思い続けて悲嘆にくれた生活を送っていました。

それを心配した中宮である徳子は、高倉天皇に小督という女性を紹介します。

小督は、中納言・藤原成範の娘で、美人の誉れ高い女性でしたが、右少将の冷泉隆房という人物が小督に夢中になり、関係を持ってしまうのです。

そして高倉天皇も小督に夢中になってしまうのですが、冷泉隆房はすでに妻子がおり、しかもその妻は平清盛の四女だったのです。

高倉天皇と冷泉隆房、二人とも妻が平清盛の娘だったこともあり、平清盛は小督に激怒し、亡き者にしようと計りました。

二人の男性の気持ちに悩み、身の危険をも感じた小督は宮中から抜け出し身を隠しました。

小督に恋い焦がれる高倉天皇は、源仲国という部下に小督を探すように頼みます。

高倉天皇を気の毒に思った源仲国は、噂を頼りに小督を探して嵯峨野一帯を探索し、やっと琴の音によって小督を見つけるのです。

小督は琴の名手で「想夫歌」という高倉天皇を想う曲でした。

仲国は小督に高倉天皇からの恋文を渡して帰るように必死で説得し、なんとか小督を連れ戻し宮中の人目につかないところに住まわせることになりました。

しかし、この事が平清盛にばれてしまい、清盛は激怒して小督を無理やり出家させて清閑寺という寺へ追放してしまいます。

その後の小督の消息は不明となっていて、高倉天皇と小督の悲恋物語として語り継がれています。

仲国が嵯峨野の小屋で小督を説得する場面は、能の「小督」という悲恋物語として現在でも上演されています。

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