第17代天皇である履中天皇の没後に即位したのが第18代反正天皇です。
ここでは第18代反正天皇と、大仙古墳をはじめとする古墳群についてご紹介します。
履中天皇の弟である反正天皇
初代神武天皇から第17代天皇である履中天皇までは、親子で皇位継承が行われていましたが、ここで初めて兄弟の間で皇位継承が行われました。
反正天皇は兄である履中天皇の危機を救った人物で、その功績によって天皇に即位したものと考えられます。
なお、反正天皇の「反正」は、正しくないという意味ではなく、正しい方に返すという意味になります。
反正天皇は、背が異常に高く、歯の長さが一寸(約3センチ)もあったという伝説が残っていますが、これはかなり誇張されて伝わったものと思われます。
履中天皇の危機を救った逸話が主に伝えられていて、特に実績に関しては特筆すべき点はありませんが、国内は安定していた時代だと伝えられています。
謎が残る3つの古墳
田出井山古墳は反正天皇と言われていますが、実際の被葬者は不明だとも言われています。
日本の古墳は宮内庁の管轄で、宮内庁は古墳を掘り返すことを認めていないのです。
大阪府堺市堺区大仙町には、大仙古墳、上石津ミサンザイ古墳、田出井山古墳があり、いずれも近い場所に位置しています。
副葬品の土器や埴輪の調査から、5世紀前半から半ばにかかて作られたとものといわれていますが、この3つの古墳にはまだまだ謎が残っています。
少し前までは一般的に、世界一の面積の古墳は仁徳天皇陵と言われてきましたが、この3つの大型の古墳に眠る天皇が確定されていないのです。
その天皇とは、仁徳天皇、履中天皇そして反正天皇です。
なので今は「世界一面積の広いのは大仙古墳」と教科書に記載されています。
しかしまだ宮内庁では、この古墳を仁徳天皇陵としており、いまだにあやふやな状態が続いています。
大阪府堺市にある大規模古墳群
上記のように、堺市に広がる百舌鳥(もず)エリアには、4~5世紀にかけて100基近くの古墳が造られたとされています。
しかしその半分以上が、残念ながら都市開発などにより失われてしまい、現在では44基の古墳が残っています。
一番面積の大きい大仙古墳を作るには、当時重機などがない時代で、一日約2000人が働いたとして、少なくとも16年以上はかかったのではないかと言われています。
仁徳天皇陵などの大型古墳は、航空写真でしか全貌を見ることができませんが、周りを散策しながらその大きさを感じるのも一つの楽しみ方です。