孝昭天皇はまれにみる長寿だった?歴代天皇の没年齢は?

孝昭天皇は日本の五代目の天皇で、いわゆる欠史八代のうちの一人になっており、実在が疑われています。

その欠史八代の中の天皇たちの寿命が、かなりの長寿だったことと、なぜそうなったかの考察を簡単にご紹介します。

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欠史八代の八人の天皇の没年齢

二代目の綏靖天皇から九代目の開化天皇までは、系譜や墓などについては書かれているのですが、事績についての記載がいっさいありません。

そのためこの八人の天皇は架空の存在だったのではないかと言われていますが、実在説も根強く、現代でも議論が続いています。

ここで注目すべきは、日本書紀に記されたこの八人の没年齢、特に考昭天皇以降のものです。

・二代目綏靖天皇(83歳)
・三代目安寧天皇(57歳)
・四代目懿徳天皇(77歳)
・五代目孝昭天皇(114歳)
・六代目孝安天皇(137歳)
・七代目孝霊天皇(128歳)
・八代目孝元天皇(116歳)
・九代目開化天皇(115歳)

稀に見るご長寿です、と言うよりこの時代ではありえない年齢になっています。

この長寿の謎については様々な考察がなされています。

初代の神武天皇と10代の崇神天皇が同一人物で、その間の天皇は後世になってから創作されたという説。

中国に対して、日本の歴史を誇示するために長く見せようとしたという説。

そして60歳上乗せしているという説や、倍歴法で、1年を前期後期に分けて2年と数えるという説など、たくさんの解釈がなされています。

創作か、実在か

上記の通り欠史八代の天皇は、実在したか後世の創作かの意見に分かれています。

後世の創作だという意見が多いのですが、天皇は実在したがこの間他の王朝が国を治めていたので、天皇に関する記述が曖昧になったという説もあります。

そして創作、実在、両方の説にも根拠がありますが、裏付ける確たる証拠は存在しませんし、逆の説を完全に否定する根拠もありません。

あまりにも昔のことですし、参考になる文献もほとんど残っていない以上、どんなに研究しても結論は出ません。

しかしまだまだ古代史の発掘作業は続けられています、これからまた新しい資料が発掘されて色々なことが解明されることを期待します。

孝昭天皇に関する数少ない逸話

孝昭天皇が即位した時期に、日本全土に干ばつが続きました。

これについては古い木の年輪分析から、この時代は降水量が少なかったことが証明されています。

そして、それによって民衆による反乱が起き、各地に略奪集団が結成されました。

その反乱は徐々に規模が大きくなり、地域の有力者だけでは対処できない状況になっていき、朝廷に平定を依頼しました。

そこで孝昭天皇が自ら元帥となり、この反乱を15年かけて平定したと伝えられています。

そして孝昭天皇は、民衆の心の安定のために各地に多くの神社を建てました。

関東地方に多く残る氷川神社のほとんどが、孝昭天皇によるものだと言われています。

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