初代天皇である神武天皇は、紀元前711年2月13日が誕生日とされています。
神武天皇が即位したのは、西暦で紀元前660年の1月1日と言われていますが、このころの日本は何時代でどのような状態だったのでしょうか。
紀元前660年の日本
ちなみに、神武天皇の即位は旧暦で紀元前660年の1月1日ですが、明治時代に新暦に換算して2月11日ということになり、それが建国記念日になりました。
日本の歴史においては、縄文時代後期から弥生時代前期に当たります。
曖昧な理由は、縄文時代と弥生時代の区分が、西暦何年からという境界線がないからです。
使用されていた土器の特徴から、縄文時代と弥生時代に区切られているので、紀元前600年頃の日本は縄文から弥生への移行期と見られています。
この時代はちょうど、狩猟中心の社会に、農耕の技術をもった弥生人が渡来しはじめた時期ということになります。
ただし、最近の研究では弥生時代の定義が古くなっている傾向があり、神武天皇の即位年である紀元前660年は、弥生時代になるという見解が多く取られています。
神武天皇のお墓はどこに?
神武天皇は、日本書紀では127歳、古事記では137歳まで生きたと言われています。
九州の高千穂に生まれ東征を経て大和の国に入りました。
そして神武天皇のお墓は、奈良県橿原市(かしはらし)にある橿原神宮にあります。
橿原神宮は日本書紀などの伝承をもとに、明治時代に創建されました。
神武天皇が即位したとされていた橿原宮の跡地に、明治23年に官幣大社・橿原神宮が建立されたのです。
官幣大社とは、今ではほとんど使われていませんが、戦前までは最も格の高い神社の呼称です。
ただし、日本書紀や古事記その他の文献には、神武天皇の墓の場所は漠然と記されているにとどまっていますので、他の場所にあると言う説もあります。
神武天皇と八咫烏
八咫烏(やたがらす)は、神武天皇の東征の際に、神武天皇を大和の橿原まで導いたとされている伝説上の烏のことです。
八咫烏の八咫というのは大きいという意味で、中国では昔から八咫烏は3本の足を持った烏で太陽の象徴とされています。
ただし、日本書紀や古事記には足が3本という記述はされていません。
日本では戦国時代に、鉄砲隊で有名な雑賀衆の長である雑賀孫一が家紋として用いました。
現代でも八咫烏は、日本サッカー「JFA」のシンボルマークであり、エンブレムにもなっています。