綏靖天皇の墓、桃花鳥田丘上陵で古代のロマンを感じてみませんか?

初代天皇の神武天皇の皇子である綏靖天皇(すいぜいてんのう)、謎が多い人物です。

神武天皇は初代天皇ということでご存知でも、二代目の綏靖天皇の名前は出ない方が多いのではないでしょうか。

今回は綏靖天皇と、綏靖天皇の御陵である桃花鳥田丘上陵についてご紹介します。

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二代目天皇、綏靖天皇とは

綏靖天皇の在位は、紀元前581年2月23日から紀元前549年6月28日とされています。

神武天皇が大和の国に都を作るための東征をした際に、綏靖天皇は他の兄弟たちと同行したと伝えられています。

そして、他の兄弟を弑して天皇の座についたという話も伝わっています。

初代天皇の神武天皇に比べて、綏靖天皇の業績などはほとんど伝わってきていません。

綏靖天皇の御陵、桃花鳥田丘上陵

御陵とは、天皇、皇后、太皇太后、皇太后を葬った場所ことをさします(皇室典範第27条)。

綏靖天皇の御陵のある桃花鳥田丘上陵は、「つきだのおかのえのみささぎ」と読み、奈良県橿原市四条町にあります。

陵の形は円丘で、考古学名は四条塚山古墳といいます。

四条塚古墳のあたりは古墳群になっており、他の天皇陵が散在しています。

桃花鳥田丘上陵は神武天皇陵の候補地でもあった場所で、神武天皇陵はこの場所から真南に位置しています。

橿原神宮にある神武天皇陵は立派な造りとなっていて、訪れる人も多いのですが、綏靖天皇陵はひっそりと落ち着いた風情です。

このあたりの藤原京の古墳群は、現在でも埋蔵文化発掘調査がされていますが、特に新聞発表などがないところを見ると、今のところ特に新しい発見はないものと思われます。

目立った建造物などはない地域ですが、散策にはぴったりの静かで自然豊かな地です。

かつて綏靖天皇陵といわれていたスイセン塚古墳

桃花鳥田丘上陵が綏靖天皇陵とされる以前に、奈良県内の畝傍山の北西にあるスイセン塚古墳が綏靖天皇陵とされていました。

そして幕末修陵の際に改められ、明治11年(1878年)に桃花鳥田丘上陵が綏靖天皇陵となりました。

築造時期は詳しい調査がされていないために不明ですが、古墳時代前期から中期とされています。

スイセン塚古墳は、綏靖天皇のスイゼイがなまったものとされていましたが、現在では単なる言い伝えという受け止め方をされているようです。

橿原市教育委員会の説明でも特に言い伝えのようなものはありませんし、現在では立ち入り禁止になっており、入り口近くの墓地にひっそりとスイセン塚古墳の簡単な説明が書かれています。

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