孝謙天皇の病が政治を変えた?片腕の藤原仲麻呂の思惑とは?

第46代孝謙天皇は、重祚して第48代称徳天皇でもあります。

ここではこの孝徳天皇と、臣下である藤原仲麻呂についてご紹介します。

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目次

孝謙天皇の人となりと藤原仲麻呂

藤原仲麻呂は孝謙天皇の補佐として政治的実力を発揮しましたが、これは孝謙天皇の意思ではなく、光明皇太后の意向だと思われます。

孝謙天皇の叔母であり、先帝の聖武天皇の皇后である光明皇太后は、藤原氏出身ということで藤原仲麻呂と密接な関係がありました。

光明皇太后は藤原仲麻呂を引き立てて出世させたと伝えられていますが、孝謙天皇はむしろ藤原仲麻呂達を遠ざけたとされる説が有力です。

孝謙天皇は女帝ながら、理想家の面もあり潔癖症な性格がうかがわれます。

なのでむしろ、光明皇太后に取り入って政治を動かす藤原仲麻呂が許せなかったのではないかと思われます。

それでも光明皇后の引き立てもあって、宮中での藤原仲麻呂の権力はますます大きくなってくるのです。

橘奈良麻呂の乱

こうしてますます強まる藤原仲麻呂の権勢に、危機感を感じた者もいました。

先帝である聖武天皇の時代に橘諸兄という人物がいて、その橘諸兄は藤原仲麻呂の讒言によって離職させられていました。

そしてその橘諸兄の息子である橘奈良麻呂は、藤原仲麻呂に強い恨みを持っていました。

橘奈良麻呂は、父親の無念を晴らすというだけではなく、藤原氏の強引な次期天皇候補者擁立にも不満を抱えていました。

そして橘奈良麻呂は他の不満分子を集めて謀反を企てましたが、内通者がいたせいで事前に発覚してしまうのです。

そして藤原仲麻呂の粛正により、乱に関与したものはことごとく処刑されその人数は400人以上だったと伝えられています。

これは藤原仲麻呂が橘奈良麻呂の乱を利用して、政界の敵を全て排除したのではないかという説もあります。

乱を持ち掛けられただけの佐伯氏や大伴氏までも、政治的立場から失墜することになり、藤原氏一強の時代がやってきました。

陰謀にまみれた天皇譲位

孝謙天皇は、病気で伏せた光明皇后の看病のために大炊王(淳仁天皇)に天皇譲位しましたが、これも政治的陰謀だという説があります。

淳仁天皇は藤原仲麻呂の傀儡天皇、実際に裏で政治を行っていたのは藤原仲麻呂でした。

ところが藤原仲麻呂の最大の支援者である光明皇后が亡くなると、状況に変化が生じ藤原仲麻呂の権勢にも陰りが見え始めてきます。

そのきっかけとなったのは孝謙上皇の病でした、光明皇后が亡くなって一年後の出来事です。

孝謙上皇は優秀な医者を探しました、当時の医者というのは僧(医僧)のことを指します。

そこで選ばれたのが道鏡という医僧で、孝謙上皇はこの道鏡に病を治してもらったのをきっかけに、側近として寵愛するようになりました。

そして道鏡の登場が、この後の藤原仲麻呂の転落に繋がっていくのです。

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